園内のギフトショップでは、園内で採取した新鮮な蜂蜜が売られ、ありがたいことにハマモト製蜂蜜の愛好者も増えておりました。
園内の果物の木に花が咲けばそこには必ず蜜蜂が観察され、ナラの木に黄色い花が咲き金木犀のような香りを一面に漂わせるようになれば、何万匹もの蜜蜂が飛び交い耳をつんざくような低い大きなうなり音と共に、働き蜂が忙しく蜜の採取をしていました。 今園内の多くのナラの木に花が咲いても、そのような光景は見ることが出来ません。2年前の台風で全ての蜜蜂を失ってしまったからです。
それと時を同じくして、フルーツワールドとグアム大学の蜜蜂の面倒を見てくれていた、グアムの蜜蜂の第一人者であったダン・ヘンドリック氏も他界してしまい、深い悲しみと寂しさを感じております。 熱心な教育者であるダン氏は教員生活を退職した後は、冬の間はグアムに滞在し夏になるとシアトルで生活するといった生活を楽しんでいました。クリスマスシーズンになるとダン氏はグアムに戻り、彼の姿が見え出すと「もうクリスマスが近づいたな」と季節を教えてくれた物でした。
グアムの子供達にとって、蜜蜂おじいさんで通っていたダン氏は、要請があればどこの学校へでも蜜蜂がいっぱい詰まった巣箱を持って出かけ、グアム大学とフルーツワールドには蜜蜂の観察施設を作ってくれました。 私どもへ子供たちが課外授業で訪れれば、そこには必ずダンおじいさんがいて、熱心に自然界の大切さや面白さを教えていました。 豊富な知識と熱心さで、彼の講義には終わりが無いのも楽しい思い出のひとつです。 黙って聞いていると一日中でも話し続け、必ず聞いている回りの人から「もう時間がないので」と言われ、そこで彼の講義が終わりとなります。
蜜蜂を失い、ダンおじいさんを失い、私どもの貴重な財産と施設を失ったような、心の空洞を感じ続けています。 2年前の台風で蜜蜂の全ての巣箱が倒された時、何十万匹の蜜蜂が次から次へと巣箱から出て行き、園内は蜜蜂の音と蜜蜂だらけでした。 しかし、何も出来ることはなく、目の前を飛び去る蜜蜂をただただ見続けていたことを今でも思い出します。
当時の園内は、台風で建物を初め、木という木が足の踏み場もなく倒れており、水も電気も無く完全に崩壊した状態でした。 肉体的にも精神的にも追い詰められた日々を過ごしておりました。 その時は、果たして「再起できるのか」と言う根本的な死活問題だけで、蜜蜂の世話どころではなかった時期でもありました。
しかし崩壊から再起を目指し園内の建物や自然が少しずつ回復するに従って、動物や蜜蜂への思いは募り、頭から一時も離れることはありません。 いかに良い施設が完成しようとも、そこに自然に対する愛情や情熱が無ければ、それは単に金儲けの為の施設ではないかと反省したりします。
ダンおじいさんという蜜蜂に関して最高の人材に恵まれ、多くの知識を授かり蜜蜂の面倒を見てもらっていましたが、その時代は終わりました。 これからは自分でひとり立ちし、蜜蜂の飼育をしていかなくてはいけません。しかし、いざ自分で実行する段になり、分からない事だらけだと気が付きました 。 いなくなった蜜蜂をどうするのか、蜜蜂の捕獲方法は教えてもらっていても、実践の経験がなく全く自信がありません。 現在グアム島には蜜蜂が非常に少なくなっており、仲間も蜜蜂を失っている状態でどう取り組んでいくのかわかりません。 思いもよらぬ事態を迎え、試行錯誤の末にたどり着いた結論は、もう一度最初から蜜蜂の勉強をするべきだということでした。 そこで5月に日本に行き、長崎で蜜蜂の研修を受けてきました。
実りある実践を体験し、養蜂家として一人前になる大きな自信が湧いてきております。 現在、日本で受けた研修を基に、これからは巣箱も市販されているのを買わないで自分で作ろうと思い、グアムの風土を考えて蜂の捕獲箱や巣箱も工夫しながら作っており、大きな夢が広がっています。
今年中には自分で考案した巣箱に蜜蜂が溢れ、ダンおじいさんの後を引き継ぎ、蜜蜂の観察場所も改善し、子供たちの教育にも力を注いでいきたいと思っています。 観光客には直接採取した蜜蜂を自分で瓶詰めし、持ち帰ってもらいたい。
「夢は見るもの育てるもの・・・・」。好きな言葉です。 実現しなくては満足感も次への飛躍も進歩もありません。 夢は必ず実現すると信じ、いつまでも挑戦し努力し続けて行きたいと思っています。