当時書き綴ったものがございましたので、ぜひご一読ください。
NOUVEAU(ヌーボ)2005年春夏号
(2005年5月2日の記事より)
生涯で1度は訪れたかった、外国という場所
タオルを首にかけたカジュアルな格好。気さくに声をかけるその姿からは想像もし得ないような壮絶な人生を彼は送ってきた。高校の時、写真で見たヨーロッパの国に憧れを抱いた。戦後厳しい時代、農家を営む両親の背中を見て育ち、幼ながらに「同じ道は歩みたくない」と思い始めた頃。外国に行くことが簡単ではなかった時代のことだ。 大学卒業後、当時エリートコースと言われていた銀行へ就職が決まった。けれど「銀行に入ったらこのまま一生がおわってしまう。それよりも1度でいいから海外に行ってみたい」と進路を変えた。身を置いたのは当時日本にあった唯一の外資系ホテルヒルトンホテル。「銀行を蹴ってまで」と、親戚中からは白い眼で見られた。悶々とした下積みの後、系列会社の人事に引き抜かれ、海外ホテルのパンフレットを扱う業務へと移った。まさに旅行関係業の幕開けである。国際色豊かな職場で4年。 頭角を現す彼に仕事先の各国ホテル人事から次々と声がかかった。そしてミュンヘンオリンピック開催の年、ドイツに移る事を決心。
ところが翌年のオイルショックでビザの発行がスムーズにいかない。1年間ビザの発行を待っている間にグアムのヒルトンから「うちへ来ないか」と誘われた。悩ましい決断だったが「2年の契約が終わってからヨーロッパに行けばいい」と申し出を受けた。
人と人との関わりを経てグアムに身を沈める決心
2年後。当初は他国への転勤を考えていたが、その気持ちを惹き止めるのに充分な人脈がグアムで築かれていた。それだけではない。2年間の間にホテルの見方も変わった。「もっと視野を広げたい。そして、ゆくゆくはグアムで何かをしたい。」そう思いホテルマンとしての区切りをつけた。グアムで永住権を得るための方法を考えていた時、ITCホテルに勤める知人からビザの収得を条件にホテルの面倒を見を頼まれた。有難い話だった。結局数年間をそのホテルで過ごし、その後トヨタレンタカーの海外1号店を役員の強い推薦で任された。更新時に条件の折り合いがつかずに彼が退社を決めた際には、本社から止めが入るほどに惚れ込まれていた。そして再び見の振りを考えていた時、ナウル共和国の大統領から「一緒にホテルの開発をしよう」と誘われた。世界一小さく世界一裕福な国。その国の大統領との友情はホテルマン時代に築き上げたものだった。融資、建設、開発。一連の流れを学んだ後は、ホテル経営者として残る道を選ばず「自分で開発の仕事がしたい」と事業に乗り出した。ちょうどバブルの時代だった。
頂点へのぼりつめ、そしてどん底へと落ちた
手掛ける事業は次々と成功。面白いほどにお金が入った。毎晩のお金の使い方が噂になるほど、夜の街を遊び歩いた。欲しい物は何でも手に入れ、ある時、娘用の車を買った先で、「お前ほど次々と車を買える奴はいない。」とかつての同僚に言われた。「金じゃない、数字だよ-。」開発事業を始めたばかりの頃、「なぜ買い物にそんなに金をかけるのか。」という質問に、一晩で何億ものお金を使う世界一のギャンブラーが言った言葉である。当時は意味を理解していなかったが、その時自然と口に出た言葉だ。「金の価値ではない。ただの数字であり、その大きさなんだ。」金を金と思わなくなった人間の使う言葉だった。「俺は死んでしまった-」。金に翻弄され感謝の気持ちや喜び、希望もなくなっていた。「全部の金を捨ててもいいから、自分を取り戻したい。」そう強く願った。麻痺した感覚、横柄な態度は自然に触れればもとに戻るのではないか。
自然の中で生活が出来たらどんなに素晴らしいか。「金や物は人を幸せにしない。」身をもって体験した彼は現在の土地を購入し、たった一人で開拓をはじめた。フルーツワールド開業に向けた新たな一歩だった。
96年のオープンまでには5年の歳月がかかり、その間の収入は赤字続き。四方八方から借りつくした借金は大幅に増えていた。オープンから1年。翌月の収入がなければ先のない状況になった。
12月16日。グアム島が台風の大惨事に見舞われる前のことだ。
首を吊るための木さえなかった。今は、希望が残るから楽しい
全てが一夜にして消え去った。眠れぬ夜が続き、前進し続けた彼もついに息の根を止められた心地がした。けれど人生のどん底で一筋の光が差し込むことになる。昔、政治関連で争ったはずのの相手が手を差し伸べてくれたのだ。「せいぜい3ヶ月」。援助は受けたものの再起より処分の方法を考えた。「どうせお終いになるのなら。」と資金をかき集め、念願だった広報誌に今までの人生を集約、発行した。すると、彼の文章に感動した人々が次から次へと援助を申し出た。絶望の底から再び人生がまわり始めた瞬間だった。
「昔はあれもこれも欲しいと思っていた。今は希望が残るのがいい-」。酸いも甘いも知り尽くした人だからこその深みのある言葉。人生がつまった園内を歩きながら、「この木だけが冬になると葉を落とすんだ。きっと季節を必要としているんだろうね。」と楢の木を見上げる。そして、「だから私は、楢の木が好きなんだ。」とそう言って目を細めた横顔に、彼の人生を見た気がした。
パシフィックデイリーニュース
1997年12月15日 台風パカ
最大瞬間風速105メートル
開園して間もないハマモト・トロピカル・フルーツ・ワールドは、1997年12月15日、超大型台風パカに襲われました。ところで、アメリカでは台風は番号ではなく、名前がついています。かつては台風の名は女性の名と決まっていましたが、今は性別に関係ない名が多く使われています。
1997年の台風パカの折も,大きな痛手を受けました。建物は飛んでしまい、木々は倒れ、オーナーの浜本はこんなジョークを言ったものです。
被害の大きさに絶望して、首を括ろうと思ったが、ロープを掛ける木が一本も残っていなかった。
これは本当に冗談で、浜本はそんなひ弱な人間ではありません。 さらに闘志を燃やし、園内の復興に取り組んだのです。木を植え、種を蒔き、木々に支えをし、毎日毎日元気に育てと植物たちに語りかけたのです。
経済的にも、肉体的にも、苦しい日々でした。 しかし、浜本が木々を支えたように、浜本を支えてくれた多くの声援があったのです。 近くには、従業員たちや、グアムの友人達が声を掛けてくれました。 遠く日本から、大勢の方々が励ましを送ってくれました。 この方々の温かい心を糧として、復興への意欲を育てたのでした。
幸いにもその後数年は静かな月日を送ることができました。 花は咲き、動物たちも増え、木々は実を付ける大きさに育ち、園内を歩く時自然と足取りが軽くなりました。自然と共に生きる喜びを感じていました。
2002年7月5日 台風チャタアン
2002年7月5日に、島を直撃した最大風速55メートルの台風チャターアンは、フルーツワールドを始めグアム島に大きな爪痕を残し、台風6号として日本の方へ去って行きました。
フルーツワールドの建物は破壊され、大きく育った木は途中で折れるか、根こそぎ持っていかれてしまいました。 丁度、今から4年7ヶ月前の1997年12月16日にも、超大型台風パカ(風速105メートル)により園内は壊滅状態になりました。木が当時より大きく育っていたことも影響していると思いますが、被害状況は今回の方が大きく感じます。
これで2回目の崩壊になりますが、前回と今回を比べると大きく違っている点があります。
前回はジャングルを開墾し、やっとフルーツワールドをオープンし1年2ヶ月を経過した時でした。それまで一度も利益の上がった月は無く、資金も無くなりどん底状態の時に、息の根を絶つかのような台風襲来と全壊でした。
選択の余地も無く、どうして良いか判らない時でもありました。激しいストレスに襲われる毎日で、精神的に極限まで追い込まれていました。
今回は冷静に受け止め、台風の翌日から建設会社を入れ復興に立ち向かっております。4年7ヶ月という年月の間に、会社も私も多くの人に支えられながら成長し、自己資金で立ち直っております。
これで、またゼロからのやり直しですが、健康な体と好奇心だけは豊富に持っております。 今後共、引き続きご支援賜りますようお願いいたます。
3ヶ月経ち通常の営業に戻りました
色々ご心配をおかけ致しました。又励ましのお便りをありがとうございました。 3ヶ月を経過し、園内を見て回っても以前の様子をしっかりと記憶していない限り、あのようにすさまじい台風があったことなどが嘘のようです。以前の園内を記憶していない限りと付け加えたのは、あるべきところにあった大きな木は、もう戻ってこないからです。
屋根は付け代えられます。店内の商品も再度購入できます。しかし、失った木々は戻ってきません。自然の偉大さと脅威。人の力の微力さと同時にその偉大さ。めまぐるしく変わったこの3ヶ月間を振り返るとき、自然の力の脅威と人の力の驚異を思います。そしてあらためて、自然の中に生きる幸せを考えます。
皆様、ハマモトフルーツワールドは以前の姿を取り戻しております。どうぞお越し下さい。年中無休で皆様をお待ち申し上げています。
感動的な自然界の再生
自然を愛する人たちは、自然界を色々な見方をし表現しています。「花は枯れても美しい」これは、私の好きな言葉でもあります。
フルーツワールドは、木が大きく育ち一年中花が咲き果物が成り続け、甘い自然の香りが漂っていました。そんな環境が台風の直撃によって一日にして破壊されてしまいました。建物は壊れ、大木は折れるか、根こそぎ掘り起こされています。
圧倒的なパワーの前に、誰も止めることの出来ない自然災害。荒れ果てた広大な園内を歩きながら、これから始まる植物たちのたくましい回復力に思いを馳せています。自然界の再生は私に考える暇も、悩む暇も与えてくれず、植物たちはよみがえり、園内は一気に生まれ変わっていきます。
そんな「荒れ果てた園内が好きであり美しい」と思わずにいられません。一日にして天国から地獄へ変わり、まるで一瞬にして着ている物を剥ぎ取られ、美しい裸をさらけだしているかのように見えます。
そんな園内をあきることなく眺め、これから日々まるで何事もなかったように着飾り、再び一気に楽園へと向かって行く植物たちのたくましい生き方に感動を受けます。
2002年12月8日 台風ポンソナ
2002年12月8日、超大型台風26号(ポンソナ)がグアム島に上陸し、フルーツ ワールドを始め全島に大きな被害を与えました。
私共は、7月5日の台風による大きな被害よりやっと立ち直ったところでした。建物の修復は 完了し、園内も見事に回復してきましたが、一息つく暇も無く又崩壊してしまいました。
破壊されれば、また修復し回復していかなくてはいけない。私共は再度全力をあげて、 建物の修復、美しい南国の自然をとりもどす努力してまいります。
再開予定日: 2002年12月20日
再開目的: 自然を愛し、自然が好きな方の為に再開すると言ってもよいと思います。自然を見つめる楽しさに、安らぎと感動があります。崩壊 から一気に回復に向かう南国の植物達の生命力の強さを観察し、そこから 日本とは違う環境、日本とは違う植物達の生態。そこに日本とは違う南国の人達の生き方や価値観の違いが生まれていくことを、一緒に考えていきたいと思います。
被害状況: 今まであった高台の4棟のパビリヨンや見晴らし台は崩壊しました。7月5日の台風以後新しく造った1棟のパピリオンが残りました。
ギトショップ、トイレとキッチンの建物は前回の崩壊によりコンクリートに作り変えたので残っております。トラックターも使用でき営業に必要な施設は確保しております。
更に大型のゼネレーター を設置し、園内は電気が自由に利用できます。水の確保は広大な園内に大型の水道管を配置しており、断水でも貴重な水の確保が出きるようになっています。
どんな災害にも立ち向かい、一つ一つ解決し、自然と共存できるように努力していきたいと 思っております。今後ともよろしくお願い致します。
2003年9月30日
台風から10ヶ月が経ちました。
今年は台風もなく、花は咲きやしの葉もしげり、南の島の豊かさを誇っています。
新しい屋根が付きました。屋上にしてみました。
見晴らしが良いのです。
2004年9月30日
今年はグアムにおいては台風は幸いにもなく、木々は順調に育っています。
日本では台風の被害が多く出ていると聞いています。被害に遭われている方々
心よりお見舞い申し上げます。私達グアム住民は、幾度も災害を経験しており、
復興までの長い孤独な戦いを知っております。
被害に会った人達が日常の生活に戻るまでは、長い歳月を必要とすることも知っております。
遠くグアムから大勢の人々がお見舞いをお届け致しました。






