年令や環境で変化する「美」への価値観

晴れがましいものがある、技巧を凝らしたものがある、輝くものがある、派手なものがある。 何故かそれらの物に心が騒いだ青春時代がありました。  東京赤坂で社会人としての第一歩を踏み出し、まもなく日比谷勤務となりましたが、その回りの環境は日本を代表するファッションと高級感あふれる店が並ぶ銀座があり、ビジネスマンの憧れである丸の内のオフィイスビルが並んでいる。 行きかう女性のファッションに目を奪われ、自信あふれるように見えるビジネスマン達に圧倒された、二十歳代の懐かしい思い出があります。  年令を重ねるということは経験を積むことでもありますが、同時に物の考え方も見方も変わってくるものだと思います。そんな中で、「美」に対する考えも価値観も大きく変わってきた事に気づかされます。 現在、陶芸を始めて憧れの窯も造り作陶に熱中しておりますが、なぜ陶芸を始めたのか質問も受けます。中には真剣に「儲かるのですか」と聞いてくる人もいます。全てがお金と思っている人の多いこの世の中、当然の質問かも知れませんが、そんな時には「ハイ!儲かります」とだけ答えるようにしています。  若い時から陶芸には興味があり、色々見てきました。好きな焼き物も多くあり、それぞれに素晴らしく興味を惹かれます。しかし、最終的に私が求めたい焼き物は備前焼、信楽焼きに代表される自然釉で作られる物で、いつか、グアムの土と木を使った独特の作品を作りだして見たいという夢を持っております。 陶芸の勉強をするにあたり、歴史を調べることがありますが、その度に「日本人に生まれてきて良かった」という幸せな気持ちと「何と、日本人というのは素晴らしい国民なのだろう」と嬉しい気持ちになります。そして先輩達の歩んできた道に対する尊敬と感謝の気持ちが湧いてきます。  茶の湯の世界における茶道具探しの歴史を見ても、諸外国の派手な美学に振り回されること無く、粗末な焼き物として価値もなかった南蛮陶器に茶人達が目を向けた事。技巧美を避け、何気ないもの、控えめなものに茶人達の目が注がれていた事を知って感激します。素晴らしい美学だと共鳴するものがあります。「寂びた美」「枯れた美」そして「冷(ひえ)」とか「凍(しみ)」といった日本人独特の「美学」に憧れます。  急激な変化の時代を迎え、私どもの「美」に対する考えも方も大きく変わりつつあります。昔の人たちは、どこの家庭でもそうであったと思いますが、冠婚葬祭などの行事ごとや、一歩家から外へ出るたびに女性達は「派手ではないか」「地味ではないか」を繰り返しながら外出着を選んでいたはずです。それだけ全ての国民が「地味で控えめなもの」に美の魅力を見出していたのではないかと思います。  しかし、今の多くの年配者を見てもわかるように、かつて日本人が求めた「美学」をいとも簡単に捨て、派手なもの、輝くものへと憧れ、あっさり変化しているように見えてきます。いつの時代も「今時の子供たちは」と、大人は子供たちを批判しますが、「今時の大人は」と批判する子供たちはいつの時代にもいません。 何事につけ私達大人の責任は大きなものだと実感いたします。  という私もやっと今頃になって、茶の湯の世界で求めた日本的な美に共鳴し、求める陶芸も自然釉で技巧の凝らない単純で何気ない作品に憧れるようになりました。 同時に日常生活でも、派手なもの、高価なものを身に付けている人を見ても、そこに「美」を見ることはなくなりました。そのかわり、古いもの、何気ないもの、控えめなものの中にその人の個性が浮き出る美しさがあるように見えてくるようになりました。   一つ一つの物が、見方により経験によりまた違った意味を含んでくる。そこに生きる喜びがあるように思え、どの過程も大切であり否定することは出来ません。自分の人生観で培われた「美」を追求する、それで良いのかもしれません。

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濱本久允

濱本久允

ハマモトガーデンズの開拓者 濱本久允は昭和22年に愛媛県で生まれました。オーナー濱本久允の自然に対する向き合い方や思いを綴ってまいります。