人間から見た自然界には何の役にも立たないような生き物も沢山生存している。 蛙や蠅等がそうである。
カエルは卵を産めば一度に数多くの卵を産む。おまけに精力たるや想像を絶し、これがまともに生育し成長していくものなら世の中はカエルだらけになってしまうのではないかと心配もするが、自然界とはうまくしたもので、まともに一生を終えるのは数パーセントにも満たないと言われ安心もする。
雨が降れば道路はカエルだらけで、プチプチプチと踏みながら車を走らさなくてはいけない。これも義務なのかと思ったりする。南国の太陽をサンサンと受けた畑には見事なカエルの薫製も出来上がっている。犬が美味しそうに食べているから人間も食べられるのではないかと思うがまだ試食はしていない。その内、南国の強烈な太陽で自然乾燥されたカエルの薫製が商品化出来ない物かと考えているが、商品化まで一つしか無い命ではもたないかもしれない。
台風後、やたらとハエが増えている。ハエに至っては、バカと言うのはこのことでは無いかと思っている。ハエ取り紙などを置けばいとも簡単に引っ掛かかり、真っ黒く隙間も無いのに、それでも掻分け無理やり引っ付いてしまう。かと思えばうるさくブーブー飛び交いガラス窓に頭を打ちつけている。痛いだろうに何度も何度も打ち続け、やがて力尽き丸く背を曲げ横たわってしまう。命が耐えるまでぶつからなくても良いものだと思えるが、これも納得した生き方なのだろうか。あんな死に方をして悔いはないのかと思ったりするが、いろいろな死に方があるもんだと驚く。
台風後、アメリカ政府の台風災害援助基金が設けられ、政府と資金融資の交渉に入った。融資を受けられる条件は全て満たされているはずだし、問題なく資金が受けられると簡単に考えていたが、却下された。
理由を問いただすと、疑問点があり全ての質問に答えろと言われ、更に準備をし提出した。しかし、それも却下された。納得いかず更に話し合いの機会を設けてもらい説明を受けたが、要点を得ないやり取りに頭に血が上ってしまい席を立ち帰ってしまった。
帰りがけの車の中に一匹のハエが入り、音を立てながらフロントガラスに頭を打ち続 け始めた。窓を開け逃がそうとするがなかなか逃げない。どうしてこうも単純なのだろうか、少し余裕を持ち回りを見ればいくらでも逃げ道はあるのにと思うが、ハエには通じない。
その内やっと窓から外の強烈な風と共に勢いよく飛び去っていった。 ハエが去った後、何か心に引っかかる物があり頭から離れない。あのバカなハエが何故に気になるのだろうか。考えている内に、自分のしている政府との交渉は、バカと思っていたハエがしている事と同じなのではないかと気がついた。
目の前にある欲しい物しか見えず、横たわっている障害物を片ずけようともせずつまずいている。これではいつまでたっても目的は達せられず、精神的に追い詰められ、体力のみが消耗していくのではないかと気付かされる。
その後は、ハエとは違い障害物は避け、最終目的地へたどり着く行動をとった。早速、各政府要人に連絡を入れ相談にのってもらうと同時に、書類の再提出をした。時間は要したが、皆さんに「よくやった」とお誉めの言葉を頂きながら許可された。すでに7月の台風より10ヶ月が過ぎてしまっていたが、やっと建物の修復工事が開始された。
バカなハエと思っていたが、今回は進行する工事現場を眺めながら「ハエに助けられたなあ」と思いを強くした。 今までバカと思っていたハエも、なんだか幸せなハエのように思えてきた。力尽きるまで、命尽きるまで頭を打ち続け死んでいくと言うことは、希望を持ち、夢を持ち続け死んでいく事ではないだろうか。それであれば最高の死に方ではないだろうか。憧れてしまいそう。見方を変えればこんなにも評価は違うのかとあきれてしまうと同時に、人の評価もあてには出来ぬものと思わされる。
主役も脇役も生き物は面白い。自然界は多くのドラマに溢れ、多くの出演者がいる。誰が脚本を書いているのだろうか。会ってみたいものだ。いやもしかして、全ての自然のドラマはそれぞれ自分で作っているのではないだろうか。もっともっと自然を見つめていけば、多くの感動のドラマに会えるかもしれない。